新庄耕『ニューカルマ』読了。
新庄作品のゾクゾクする嫌な感じを味わいたくて読んでしまいました。
完成度も高いのに、これがデビュー2作目なのですよね。
デビュー作の『狭小邸宅』に感服し、この人はこれからも不動産業界についてのことを書いてくれるものと期待していたところ、本書はマルチが題材と知り、出版当時はなんとなく手が伸びなかった記憶があります。
ところが、麻布競馬場さんが『小説すばる』の9月号で新庄さんと対談した際、彼が好きな作品としてこの『ニューカルマ』を挙げていたので、今更ですがやっぱり読んでみよう、と。
まあ、そうでなくともこのところ『小説すばる』では「地面師たちⅡ」の連載を追っている最中で、毎月なんとなく新庄作品にはもう少し長く触れていたい気分になるのです。
連載というのは、いつもいいところでブツ切りされる感がありますね。
本作品は、マルチに嵌って痛い思いをする側から、最後には胴元にまわるエンディングですが、途中少しばかり成功した風になったところから暗転する様の記述がたまりません。
叩きのめされた後の描写も素晴らしい。
また、自分たちが母子家庭になり苦労したのも、実は母親がマルチに嵌り離婚したからだということが、友人を通して明かされるのも唸らされる展開です。
タイトルの「ニューカルマ」は作品での表面上は単なる社名だし、その時点ではまだ登場していないし、由来だとか意味だとかそういったことには一切の言及がありませんが、まあ、このあたりでもう優勝ですね。
マルチの子がマルチって、もう親の因果が子に報い以外の何物でもないですね。
宗教二世が違う新興宗教に入信するみたいなもので、よくある話なのでしょうか。
学生時代に家庭教師で通っていた先が、とあるマルチの家でした。
元々実家がマルチではないものの商売をやっている家で、そういう商売の勘所みたいなところを押さえるのは血筋もあるのかな、なんて当時は思いました。
その方自身は、旦那さんを交通事故で亡くされてからのマルチ入りでしたが、洗剤とかの販売なのに、出入りしているダスキンのおばさんにも勧誘をかけるなど、凄かったですね。
さすがに学生だったせいか私は勧誘されませんでしたが。
自分が勤めていた会社でも離婚した人がいて、周りからそれとなく「奥さん、マルチに嵌っちゃったんだって」なんて話を聞いたことがあります。
また、学生時代の後輩でも、奥さんがマルチの広告塔みたいになったばかりか、代表とデキちゃって離婚した、なんて話もあります。
映画『明け方の若者たち』では、卒業して数年後に同期に呼び出されたらマルチの勧誘をされて、なんていうシーンもありましたね。
学生時代、ハブられ気味だった人間が「どうやらマルチやってるみたい」なんて話も人づてに聞くこともあります。
しかし、よくよく考えてみたら、ここ数年、いや、10年以上自分の周りではそういう話は聞いてないぞ、と。
小説のテーマにもなるくらいですから、マルチの流行が廃れたということはなさそうです。
要因があるとしたら、年代でしょうか。
本作では、リストラ対象となった40代の元同僚・先輩が、主人公の勧誘で会員になり、それでもダメ、という救いのない記述があります。
でも、案外そういうケースというのは、少ないのかもしれません。
マルチのメジャーなターゲットは、主人公含め、大学を出て会社に入り数年、仕事も落ち着いてきて、というか、限界も色々見えてきて30代にさしかかったくらい、の人間でしょうか。
何者でもない自分を受け入れつつも、なにかチャンスはないかと足掻くくらいのときが一番引っかかりやすいのでは、と。
そういう意味でいうと、自分がその時期に出会ったのが、マルチではなく収益不動産だったというのは幸運だったのでしょう。
もう少し遅かったら変な三為業者に引っかかったり、下手したらかぼちゃの馬車で負債を抱えるだけになっていたかもしれませんし、もう少し早かったらノウハウもほとんどないまま、木造アパートで規模の拡大も期待できず終わっていた、とかかもしれません。
アベノミクスで出口にも困らなくなったという追い風もありました。
そういった諸々があっての危うい楼閣ですね。
一方、マルチというのは、そういう時の流れとか環境とかはあまり関係なさそうです。
多少商材に流行り廃りはあるでしょうけれども。
アマゾンレビューにもありますが、「食わなければ食われる」の精神で成り上がりたい人にとっては最適なツールなのでしょう。
まあ、そういうわけで向き不向きはありますよね。
自分はやらないし、やれないと思いますが。