岩田弘三『アルバイトの誕生』読了。
副題は「学生と労働の社会史」というものですが、内容は大学生のアルバイト史の定量的な整理です。
三浦展さんみたいな、数字を元にして想像力をたくましく、といった方式とは違い、淡々とデータを使いながら、最低限これは言えるだろう、ということを積み上げた本です。
なので、少しつまらない箇所もありますが、薄い本なのでさっと読めます。
戦前の学士様のアルバイト事情から、戦後すぐの学生たちの文字通り当座を生き抜くためのアルバイトについて。
その後、小遣い稼ぎのためにアルバイトをする学生が増加し、1960年代にはそれが過半を超えてきたことなどがデータで示されます。
この、小遣い稼ぎのためのバイトのピークは1992年とのことですが、この現象が大学の大衆化と、企業の側が非正規雇用を前提とした経営をするようになったことと軌を一にしていることなどが解説されます。
職種も、それまでの家庭教師を主とするエリートならではのバイトから、接客・営業といった方面の仕事がメインになってきますが、ファストフードにせよファミレスにせよ、どこにでもいる大学生の低廉な労働力があって初めて成り立つビジネスモデルなのですね。
そして、バブル期には、意味のある学生生活、素晴らしいデートをするために、男も女もバイトに勤しむようになった、と、雑誌ポパイなどを挙げつつもこれは定性的な分析でしたが。
「デイリーan」とか懐かしいなー、と思いましたが、Web版を含めても、もう廃刊になっていることを本書で初めて知りました。
別に今でも、「バイト探しは~」みたいなCMを見るので、単に競合に負けただけなのでしょうけれども。
ちなみに、90年代に入り未成年ながらにバブルが崩壊したことを実感したのは、めっきり薄くなったデイリーanとすっかり習慣が無くなってしまったテレホンショッキングでのゲストによる来場者全員プレゼントでした。
アルタのあのスタジオに入り切らないくらいの花輪とか、今は昔、というか「いいとも」自体もう無いのでしたね・・・。
で、そんな時代を過ぎてからはまた、学費を賄うためのバイトが主になってきたことなどもデータで示されています。
そういった学生を救済するために、住民税非課税世帯への授業料減免制度などが拡充されたわけですが、それらについてもデータを取っていて、必ずしもそれらの恩恵を受けている学生がバイト時間を減らしているわけではない、ということがデータで示されるなど。
いやー、このあたり、ちょっと図星です。自分にとっても。
自分は、授業料免除と貸与型の奨学金をフルに借り入れてましたが、だからと言って予備校講師のバイトが減ったかというとそんなことはなく。
で、お金は貯まるもんだから、アメ車を買っちゃいました。
学生のうちに。
今から振り返っても、馬鹿だったなあ、とは思いますが、逆に学生時代じゃないと、車なんて自由にいじったり出来ませんでしたよ、と思ってもみたり。
実際、社会人になってから、その車は処分してますからね。
あまりにも乗らなくて、維持費ももったいなくなったので。
最終章で、学生は学業とバイトの両立をどうすべきか、リンクさせることはできないか、みたいなことを考察しているのですが、そこは著者が大学の人であるがゆえの限界を感じます。
そこまでして学問が必要な層というのがどこまでいるのでしょうか。
正直、そもそも大学の数が多すぎるのではなかろうかな、と。
雇用する側の企業にとって、多少ぞんざいに扱っても良い、若く低廉で豊富な労働力の源泉としてのみ存在価値のある大学、あるいはそこの学生というのは、本来なら労働者としてきちんとカウントされて、雇用の調整弁として景気悪化時に吐き出されれば、ちゃんと失業者として数えられ政策の判断材料になって然るべきなのでしょうけれども。
それが、本業は学生であるからと、それを保護する主体は当人の所属する家計に委ねられ、また、学生であるがゆえに授業料その他の出費もかかり、と。
いや、最近は高等教育の教育費は無料化の方向ですよ、と言われても、まあ、なんというか、それがベターな政策なのかと言われると口が曲がってしまいますね。
例の前川さんの件(パパ活ではなくその前の天下り斡旋)で、文科省の役人の天下り先を確保するために大学の数が無尽蔵に増えていき、マスコミを辞めた元記者などもそのおこぼれに預かるので、メディアでは特に批判も起きない、みたいな構造を見てしまってから、どうもまっすぐに高等教育を見られない自分がおります。
とまあ、提言とか結論とかには同意はしないものの、学生のアルバイト史についての資料的・史料的理解として、読んでおいて損は無い一冊です。