ジョン・アール・ヘインズ『ヴェノナ 解読されたソ連の暗号とスパイ活動』読了。
ヴェノナ・プロジェクトとは、第二次大戦中から冷戦期に至るまで、アメリカ政府に入り込んでいたソ連のスパイについて、彼らの暗号電文を解読すべく、アメリカ政府が極秘に始めたプロジェクトです。
下手な陰謀論より中二病心をくすぐります。
で、ソ連が崩壊して数十年、それらをまとめた文書が機密解除になったので、「ヴェノナ文書」として本になったものを我々が読めるわけですね。
ただ、膨大な資料のすべてが解読されたわけでも、有機的に解釈されたわけでもないです。
当然に、アメリカに関わる部分の内容が多いわけです。
いずれにせよ、これほど大掛かりなスパイ網が自分の政府に入り込んでいると知ったら、さすがに士気は下がるしそれを打開しようとするならヒステリックな反応になるのもわかろうというもの。
レッドパージとはこういう背景があってのことか、と半世紀経って理解するわけです。
本を読みながらつい考えてしまうのは、同時期の日本はどうだったのか、という点と、今、チャイナはどういう工作を仕掛けているのだろう、という点。
いや、チャイナだけではないですね。
隣国である限りは、北も南も台湾もロシアにも日本に向けた工作活動はあるのでしょうし、そういった活動が無いのは性善説だけが拠り所の日本だけかもしれませんが。
前者については、日本にはヴェノナのようなプロジェクトが無かった、というよりは、より積極的に取り込まれ、敗戦革命を志向する一群が政府内部にいたのだろうと想像するし、その理念の一部は、実際に敗戦後、OSSからGHQを通して実現されたものも多かったのでしょう。
それによる影響が未だに続いているとかいないとか、そのあたりの議論はまた別の話ですが。
後者について本書を通じて感じるのは、金や色による買収の出番が驚くほど少ないということ。
「ハリー・デクスター・ホワイトが給与を受け取ることはないだろうが、感謝の気持としての贈り物なら受け取るかもしれない」といった(解読された)電文には笑ってしまいます。
工作のそれぞれが各工作員の共産主義への共鳴に負うところが多いのだから当然といえば当然ですが、案外、この違いは大きいのではないかな、と。
つまり、ソ連の工作が成功したのは、今となっては想像し難いところはありますが、共産革命を夢見る青年たちの自発的な協力があったからで、金に物を言わせてのハニトラ・脅迫が主となっているとしたら、チャイナの工作にはやはり限界があるのでしょう。
以前、豪でスパイ行為を告白した王立強も、ある程度割り引いて聞くにせよ、豪で自由や民主主義に触れて自分が間違っていたと思うに至った、というようなことを言っています。
今のチャイナには、当時の共産主義のような人を引きつける思想があるわけではなく、最後はそこで躓いてしまうのではないでしょうか。
米帝だってチャイナと同様に盗聴も工作もするじゃないか、と言ってみたところで、たとえ建前だとしても「自由・民主主義」を否定はしないわけです。
無論、自らの手でそれを守ろうとしなければ、あっけなく見捨てられる時代になったことは、アフガンでつい先日目の当たりにしましたが。
それにしても、スパイ防止法くらいは無いとやばいよな、と思います。
もちろん、あったところで適切な運用がなされないと意味はありませんが。