岸政彦・柴崎友香の『大阪』を読む。
本日(2021年3月9日)現在、Amazonレビューは1件のみ。
で、そのレビューも、他にレビューがないから書いてみた、的なもの。
(しかも、立ち読みで読んだだけだとか)
この本が売れてないというわけではないと思うんですよね。
ブクログには結構な数(10件)あるわけですから。
日経でも取り上げられてたし。
著名な人による、仕事としての書評なら、今後も続々出てきそうな気配です。
いや、一部は最新作『リリアン』に流れるか?
とはいえ確かにこの本、レビューしづらいというのはあるかもしれません。
というのは、この本を読むと、どうしても自分自身の大阪語りをしたくなるのです。
誰しも「大阪という街は~」と始めたくなるのではないでしょうか。
そういう本ですね。
でも、それをレビューとして投稿するのは、やはり気が引けるというか。
おそらくは著者も読むであろうAmazonレビューみたいなところに、「オレの大阪論」なるものを開陳するのはちょっと違うと感じてしまうわけです。
そういうのは自分のブログにでも書いとけ、という話です。
そういう意味ではブクログみたいな媒体は手頃なんでしょうけど。
そのあたりがブクログとAmazonでのレビュー数の違いになっているかもしれません。
というわけで、ここは私のブログなので臆せず進めていきます。
さてこの本、帯にある「大阪に来た人」が岸氏で、「大阪を出た人」が柴崎女史ですね。
共著ですが、対談本というわけでもなく、往復書簡というほど連続性があるやりとりでもなく。
それぞれが「大阪」について一つの章を仕上げて、相手に順を渡す、みたいな感じの仕上がり。
もともとはどこかの雑誌の連載だったのでしょうか。
岸さんが大阪に来たのが1987年で、柴崎さんが大阪を出たのが2005年で、二人が大阪にいてダブっている期間が、ほぼ日本の失われた30年に相当していて、そこが本書の基調になっています。
大阪という街がこの数十年で地盤沈下を起こしたことを共通認識として持っているものの、それを誰かのせいにするというのでもなく、変に懐古趣味に走るのでもなく。
あるいは「維新」のように、一発逆転を狙っては裏目に出るダメなギャンブラーみたいなことも考えず。
なにかできないものか、どうにかならないものか、ということを地に足をつけながら思考してみる、という、極めて穏当な本です。
おふたりとも大阪が貧しくなったと言います。
柴崎さんは、それにより大阪も一地方都市でしかなくなったことを挙げ、東京とそれ以外の図式になったと書いています。
なるほど日本の他の都市から見たらそうなるのか、と。
そうなのかもしれないな、と。
でも、しばらく東京ベースで過ごした金融村の人間の視点からすると、東京こそが地盤沈下を起こしていたという印象しかないのですね。
日本全体が沈んでいたなかでは、大阪の沈みと東京の沈みの差なんて大したことなかったのかもしれませんよ、と。
まあ、自分としては、そういった日本の地位低下を肌で感じつつも、それも時代の流れか、的な諦念もあったりしました。
アジア株の運用をやっていたときなどは特にそういう思いはありましたね。
いずれ追いついてくるであろう中台韓というのは、ひとつのテーゼというか自明の理と言うか。
まあ、そういう考えでもなければ、投資するのは日本株でいいじゃないか、という話になるので、職業的にそういうバイアスはありましたけれども。
それでも、上海の新天地で、出来たばかりのスタバの料金を見て「何だよ、東京とほとんど変わんないじゃねーか」とボヤいて現地のJDに大笑いされとき、それなりにカチンと来る程度には愛国者であったわけです。
結構辺鄙なところに四季酒店(フォーシーズンズホテル)が建ったなー、と思ったら、訪問するたびに周りに色々なものが出来始めて、都市として機能し始めて。
それに引き換え東京は、みたいなことを思っていた自分は、日本の他の都市のことなんか気にも掛けていませんでした。
そういうグローバリストにも愛国者にもなりきれない存在で居続けたわけですが、一つの転機が311でした。
関西の人にとって神戸の地震というのが大きい経験だったように、自分にとっては311は人生を変えたものでした。
いや、別に被災したとかではないのですが、それをきっかけに色々と考えた結果、サラリーマン稼業を辞めたのですね。
そして、原発疎開という名目で京都に移住をしました。
別にどこでも良かったので、北は札幌から西はシンガポールまで候補はありましたが、当時は一番しっくりきたのが京都でした。
街のサイズとしても手頃で、まだアベノミクス前で観光客も少なかったというのもありました。
しかし住んでみると、京都という街は手頃なサイズなのですが、どうしてもそこでは完結しないところがありますね。
少し真面目に買い物をしようとすると大阪まで遠征しないといけない。
あと、個人的には東京の不動産で借入をしていた銀行の一つが、京都には支店が無かったため、資金移動だったり節目での通帳記入となると大阪まで出ないといけない、ということもありました。
それから、ちょっとしたセミナーだったり集いだったりも、大阪のほうが頻度としては高い。
つまり、なんというか、ちょっとした用事なら十分に片付くんだけど、本腰入れるなら大阪まで行かないといけない。
そういう意味では、事あるごとに東京まで出なくちゃいけなくなる横浜市民みたいな感覚なのです。
別に例えるのは横浜でなくて大宮とか柏とかでも良いのですが、それだとちょっと京都の人、怒りそうなのでそこまでは言いませんけど。
自分にとって大阪との出会いはそんな形でした。
四条烏丸で潜って阪急に乗って出かける街。
遅くなったら帰るのに天満橋発の京阪の最終に駆け込んだ街。
そんなこんなで、京都には5年ほど住んでいましたが、セミナーやイベントごとを重ねた結果、大阪の友だちのほう多くなってしまいました。
京都の人よりは大阪の人のほうが付き合いやすかったのは事実です。
仲良くなれる率が高かったのも事実です。
妻は大阪の大学・院を出てから東京で就職した口なので、東京と大阪の違いについてそれなりに意見のある人間ですが、「あなた、関東出身の割には大阪の人好きよね。」と不思議がっていました。
大阪の人の、変に格好つけないところがいいんでしょうという分析でしたが、まあ、それだとちょっと浅いと言うか、当たらずとも遠からずというか。
確かに、一回自分を落としたところから話をしても、受け止めた上で返してもらえる安心感があるというのはありましたけれど。
大阪の人はマウントを取らない、というわけではないのでしょうが、東京の、特に上京組の人よりは付き合いやすい、というのはありますね。
そういう自分側の話だけでなく、大阪の人の持つ、大阪への距離感というか自虐を交えた愛情というか、そういうものでしょうかね。
そういうものと相性が良かった。
東京で生活はしていても、扱っている資産が外国株で、月に一度はアジア出張が入るような環境にあると、東京に対しては諦念みたいなものが出てくるのですね。
飛ぶ鳥を落とす勢いで発展を続ける都市を、存分に味わってから東京に帰ってきて味わう徒労感を、繰り返し飲み込むことで身につけてしまう何か。
もちろん、行く先々では、美化された最先端のものしか見てなかったのでしょ、というのはありますが、そういう意味では自分だって足立区に住んでいたわけじゃないので。
そういった感覚と、大阪の人の「ま、大阪やからな。」みたいなところとが共鳴しやすかったのではないのかな、と思います。
あとは、あのリズム感ですね。
本書でも時折出てくるライム。
「あっちむいても、こっちむいても、コロナだらけになってまう」とか「あそこらへん、あれやろ」とか。
そこらへんにいる普通の人が吐きますからね。こういう極上のライムを。
衝撃だったのは、関西だとテレビに出てくる一般人の人がことごとく面白いということ。
大阪ローカルのバラエティ寄りのルポ番組だったと思うのです。
探偵ナイトスクープの二番煎じ的なものかもしれません。
レポーターが、通行人の人に色々と尋ねて歩くうち、一見すると性別不詳の中年の方に遭遇しました。
マイクを向けられたその人は、質問には普通に答えているのですが、その声もちょっと性別不詳で、多分レポーターの人も、その人の回答よりそっちが気になったようで、途中から笑いを噛み殺すような感じになり、ついに尋ねたのです。
レポーター:「スミマセン。失礼ですが、オジさんですか?オバさんですか?」
一般人:(一瞬ムッとしたものの)「あら失礼やわー。きれいなお姉さんやないのー。」
この返し。この反射神経。これが大阪か、と衝撃を受けました。
そんなこともあり、東京時代に比べて、テレビを見る時間が増えたのは言うまでもありません。
それから、テレビでなく実生活で自分が一番ツボったのは、セミナーで知り合ったオジさんがその後の飲み会で言った言葉です。
とある治安の悪いエリアでも物件を所有していたのですが、底辺ならではのトラブルを色々話した後に、
「あそこらへんはな。もう、パッチギの世界やで。」と。
岸さんのポリシーからは反論すべき言葉だったかもしれませんが、やっぱりそのリズム感もあって爆笑してしまいました。
というわけで、今では自分にとって大阪は、歳をとってから、住んでみたい街の一つになっています。
そういう意味では大阪の行く末は気になるわけです。
でもですね。
特に維新信者の人に言いたいのは、大阪が目指すべきは「都」でも「東京」でも「日本一」でもないぞ、と。
じゃあ、何なのか。
まあ、それが簡単にわかるようなら、東京だってここまで沈下していないのでしょうけれども。
結局、私も自分の大阪語りをしてしまいました。
そういう魔力のある一冊です。