ダフト・パンク解散

評論

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ダフト・パンクが解散と聞いて。

引っ張り出してみた「ダフトクラブ」カードには、Expirationが2002年の12月との刻印。
いやー、20年近く経ってしまっているわけですね。

これはアルバム『Discovery』に入っていたカードです。
初回限定のみなのかな?
うちには『Discovery』が3枚あったはずですが、カードはこれしか見ていないので。

日本盤のジャケットは松本零士御大の絵でしたが、輸入盤はいたって普通の文字だけのジャケットでした。
どこで買ったんだろう。

まだ、シスコテクノショップもTechniqueもなかったころ?
いや、ゼロ年代に入ってるからそんなことはないか。

アンダーワールドの1、2枚目の頃までは、WAVEとかヴァージンメガストアあたりで買っていた記憶がありますが、今世紀に入ってからは社会人になっているので、ダフト・パンクくらいなら、普通に仕事終わりにタワレコで、とかかもしれません。

まあ、94年とか95年くらいから、東京でテクノを消費する環境がすばらしく改善した、というのはありますよね。
テクノボン』とか『テクノ専門学校』とか94年夏のリキッドルームとか『ミックスアップ』とか、そういったところの中心にことごとく石野卓球氏が絡んでいるわけですけど。

ダフト・パンクは、90年代後半の、「え?フランスにテクノシーンなんてあるの?」みたいなところを独力でひっくり返しただけでなく、メジャーシーンにも積極的に絡みに行って力でねじ伏せたところが稀有なんでしょうね。

それまでテクノでフランスと言うと、ローラン・ガルニエくらいしか思い浮かばなかったですし、それも「いや、彼はDJだし」みたいなところもあり。
初めてダフト・パンクを聞いたとき、「これがおフランスなのかー」と思ったのですが、後にも先にも彼らだけで、まあ、あのサウンドは唯一無二であった、と。

そういったところは、日本で言ったらちょうど電気グルーヴみたいな立ち位置なのかな?

まあ、電気グルーヴは解散しなさそうですけどね。

お疲れさまでした。

ダフト・パンク

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