年越しに『サカナクション山口一郎 ひっそりカウントダウン大会!』を見ました。
年末だからということでテレビをつけ、ザッピングをしてみたもののあまりピンとくるものがなかったのですね。
で、YouTubeで面白そうなものは無いかと見ていたら、サカナクション山口氏がひっそりカウントダウンを始めるぞ、という情報が。
21:45くらいから始まるよ、というアバウトなものでしたが入ってみると、BGMでずっとサカナクションが流れている状態で、チャット欄はすでに盛り上がっていました。
なので、テレビは無音にして映像で紅白その他をチェックしつつ音はサカナクションという状態で、山口一郎待機が十数分。
山口氏登場後は視線もそちらに、という感じに。
ライブでも始まるのかな、と思いきや
「自宅からお送りしま~す」
といい感じにゆるい映像でした。
22時から2時間弱は、過去のライブ映像を流しつつワイプに流れた山口氏がコメントを入れるというもので、結構アブない話もしていましたが、結局アーカイブにも残していないところを見ると、やっぱり危険だったのでしょうw
札幌の人間にとってのペニーレーンの存在の大きさとか、CMで既存曲を使うことの難しさなどはいくら語っても問題なかったでしょうけど、初めてテレビに出たNHKポップジャムで当て振り(手パク・口パク)を強要されたことへの憤りとか、そこらへんですかね。コンテンツとして残せなくなったのは。
個人的には、電気グルーヴへの敬意を語っていたのが意外というか、素直な人だな、と。
テクノ寄りの音を使っても受け入れてもらえるようになった土壌は、電気グルーヴという先駆者がいてくれたから、と感謝の言葉を言っていました。
テクノシーンに対しての石野卓球は、今となっては疑いようもない事実となっていますが、普通のバンドへの電気グルーヴの影響は暗黙知の領域というか、あえて指摘はされないところですからね。
四つ打ちだったり、完全にシーケンサーで固めた曲だったりが多いバンドでも、同じようなメンバー構成だからといって「グラスバレー」の影響です、というバンドが多いとは思えません。
明らかにそこには電気グルーヴの影が見えるわけで。
まあ、電気グルーヴはメジャーデビューしたときに既にバンドではなくなってましたけど。
でも、山口氏がそれを述べていたときに流れていた映像は、メンバーがそれぞれスタンドデスクにマックブックを置いてその前に立っているという、どちらかというと、クラフトワークみたいなパフォーマンスでした。
チャット欄には「YMOみたい」という書き込みが流れてましたが、YMOは少なくともメンバーが前に置いていたのは楽器ですからね。
あれはパフォーマンスとしてはクラフトワークのそれじゃないかと。
そういえば自分がサカナクションを知ったのも、テクノ寄りのDJミックスの中でした。
ゼロ年代の後半だったと思いますが、普通のテクノにPerfumeも載せ、サカナクションも載せ、という多分90年代だったらコアなテクナー(テクノしか聞かない人)が卒倒しそうなものでしたが、そういうのが受け入れられていたのですね。
技術面で言うと、DJの仕事としてもアナログ盤をつなぐだけのものから変わりつつあったときでしょうか。
別にCDとかMP3の音を混ぜてもいいじゃん、というDJが世の中に大挙して発生して、そういうテクノ周辺の音楽も抵抗なくかけていくようになってから、という。
そう考えると、スクラッチライブとかは完全に過渡期の技術でしたね。
昔、レオパルドンの高野政所氏が自由が丘でクラブを経営していたとき、2008年だったか「今年、店で一番かけたのはポリリズム」と言っていたので、そのころにはもう時代の流れは変わっていたのでしょう。
そんなことを考えつつ、過去映像が終わりカウントダウンになってからは、彼のアコギの生演奏を楽しみました。
年越し前は「フクロウ」を途中まで。(準備に手間取り曲の途中で終了)
年越し後は「新宝島」。
ところで、彼が新宝島で「丁寧、丁寧に」と歌っているところ、彼が元道民だからか、「手稲、手稲に」に聞こえません?
手稲に停まっちゃう快速エアポート、みたいな。
いずれにせよ、新宝島で始まった2022年、良い年になりそうです。