石井妙子『原節子の真実』を読む。
世代的にはもちろん原節子という人は知りません。
この本を手にとったきっかけというか興味の対象は、原節子と言うよりは、著者の石井妙子女史です。
そして、それは先日読んだ『女帝 小池百合子』を受けてのものですね。
『女帝』は一気に読み進めてしまい、そこでの感想はすでに書いているので改めては記しませんが、Amazonレビューは結構荒れていました。
その中には、きちんと読んでいないというか、著者のことをゴシップ誌のライターあたりと勘違いした中傷めいたものもあったりして、しかしそうは言っても自分も彼女の著書としては『女帝』しか読んでいない状況では、何も言えないな、というわけで本書を手にとった次第。
結果、『女帝』でも、少し筆が走りすぎるところはあるものの、文体など見てもプロのノンフィクション作家の仕事だな、と感じましたが、本書でもその思いを強くしました。
偉そうなこと言ってますが。
本書は、Amazonレビューも概ね好評。
扱っている題材が違うだけで、こうも反応が違うものか、と改めて小池百合子の持つ魔力というか、政治力というか、恐ろしさを再確認。
ただ、小池百合子ご本人から著者へは、直接の抗議とか訴訟などは今のところ無いようで、カンニング竹山に比べたら、やはりやりづらいのでしょう。
徹底した調査による事実を積み上げた上での少しの推論、という体裁について、その推論に抗議すれば、逆に都合の悪い事実が世に知れ渡ってしまうというのはあろうかな、と。
さて、本書は小池本ではないので、そろそろ本書のことを。
原節子という名前を初めて知ったのは、ビートたけしの交通事故後の記者会見のときです。
席上、「原節子さんから数珠を贈られた」と言っていて、「あの原節子さん」みたいな言い草と、会見会場の記者の反応みたいなところが、少し記憶に残っています。
本書の「文庫本あとがき」で書かれているとおり、著者による遺族への聞き取りから、原さんはそんなことはしていない、それは事実ではない、ということが判明しているわけですが、それもあとがきでさらりと触れられている程度。
このことからも、多分、本書の至るところに、上の世代の人が読んだら、「そうだったのか。」的な話が満載なんじゃないかな、という気がします。
自分なんかは、昭和史として、淡々と「へー」で読み進めてしまっていますが。
昭和を考えたときに、当然のことながら戦前・戦中・戦後とで、日本で生きた人間が100%入れ替わったなんてことは無いわけです。
それでもそのように語られるし、自分らもそのように見てしまいがちですが、実際には同じ人が違う思想で違う事を言うようになっただけで、各自その矛盾についても、必ずしも褒められた形ではない折り合いの付け方をしていて今日があります。
戦中に戦意高揚映画を作っていた面々が、ほぼ変わらぬスタッフのまま、戦後には民主主義礼賛映画を作るようになったりした映画界などその最たるものでしょう。
ただ、そういう業界の折り合いの付け方への許せなさとか、そのためのスケープゴートに使われた原さんの義兄への義憤だとか、特定の誰かと言うよりはそういうものの総体が、40を過ぎてからの引退につながったのかな、みたいな。
少なくともそう読ませるような、推論させるような、そんなノンフィクションです。
戦後、多くの映画人が戦前の自分の行いを反省する言葉を口にした。あるいは、「自分は騙されていた」「戦争には反対していた」「無自覚だった」と弁解した。しかし、節子は戦前戦中の自らについて、明確な形で安易に反省の弁を述べることはしなかった。だが、彼女の後半生の隠棲は、この前半生の延長にあったのではないだろうか。己の幸せを追い求めず、経済的に余裕ができても贅沢をせず、出歩かず、家に籠り続ける日々。漏れ伝わる彼女の生活は、まるで喪に服し続けるように質素そのものである。
ここまで踏み込んで書いてしまうあたりが、石井節なのでしょうかね。
でも、嫌いじゃないです。
それから石井女史による原節子像も、嫌いじゃないです。