大島康徳さんがお亡くなりになりました。
ファイターズ方面でもあまり話題にならないのは、やはり東京ファイターズの人だからですね。
賢介の引退セレモニーのときに駆けつけてくれた、というのでそのときの画像を使っている媒体もありました。
病気のこともあり、それ以降はあまり表には出てきていなかった、ということの裏返しかもしれません。
野球界から離れてからは、闘病生活だったりリフォーム詐欺だったりと、野球とはあまり関係のないところでの露出も多かったですが、それでも元ファイターズの人としてはよくテレビに映ったほうだと思います。
大沢さんの次くらいでしょうか。
でもそれは、元ファイターズというよりは元ドラゴンズというところもあったんですかね。
もっというとNHKで見かけることもままあったのは、星野さんの口利きもあったのかな、なんて。
東京ファイターズ時代の大島さんというと、5番ファーストが定位置で、打率は低いのですが2ストライクになってからもそれなりにカット打ちで粘れる貴重な打者、という位置づけ。
それほどチャンスに強かったという印象もないですけど。
4番の記憶はほぼ無いですね。
どういうわけか、ブリューワとか得点圏打率が1割以下(当方記憶調べ)でも、助っ人が4番に座る、というのは変わらなかったような。
あのころは、中日との交換トレードが多かったですよね。
でも、藤王とかに比べるとはるかに有能。
大島さんのあのカット打ちを、中島輝士とかが学んでくれたら、彼もだいぶ違っただろうに、なんて思ったりもするわけですが。
監督時代は、何をやってもうまくいかず、始終ブチ切れていたのを記憶しています。
その最たるものは、岩本がヒロインで「まいど」を連発している裏で、「ヨタヨタしやがって、冗談じゃないよー。」と愚痴っているやつでしょう。
ニコ動に今もありますが。
まあ、あの暗黒期があってからの、ヒルマン招聘・北海道移転へとつながるわけですからね。
何事も無駄というものは無いものですね。
ご冥福をお祈りいたします。