最近ネットサーフィンをしていると、上記のバナーに追われることが多く。
クリックしてみると、映画『この世界の片隅に』に、30分を超えるエピソード、250カットを追加し、能年玲奈の成長を追うドキュメンタリーとかいうのを付け足してDVD・ブルーレイで出すという話。
公開が終わって数年経つ映画でまだ商売するんかい、と言って切って捨てるのは簡単なのだが、
確か岡田斗司夫との対談だったと思うが、片渕監督が、アメリカでの公開を考えて30分削った、みたいな話をしていたので、その分の30分がもとに戻っただけ、という理解もできる。
そう考えると、片渕監督の考えていた本来の作品を日の目に当てるために、商業ベースに乗せるべく能年のドキュメンタリーとの抱合せで釣りに来ている、という言い方が正しい?
そこまで今の能年にブランド価値があるのかはわからないが、海洋堂がすずさんのフィギュアを出すくらいには、コアな支持層はいるんだろう。
なお漫画版の『この世界の片隅に』については、以前、ブクログで書評を書いております。
映画は見ておらず映画との比較は出来ない・・・のに、すずさんの声は「CV:能年玲奈」で聞こえてくるから不思議。
戦時中だって常に日常はあって、その日常の中に前線は忍び込んでくるけれど、そして何ということもなく命も奪われていくけれど、それでもなお日常があって、悲しみも含めて淡々と時は過ぎていく。
流されるままに生きるすずさんを通して記述されるので余計にそう見えるが、末端の市民にとっての戦争とはこのようなものだったのだろう。
生前、戦時中はどうだったかと祖母に聞いても、まあ、大変だったよ、というくらいしか返ってこなかったが、こういう日々だったのかな、と。
井の頭公園に松脂取りに駆り出された際、「こんなことして勝てるのかしらねぇ」と言って大問題になった、とか面白おかしく語ったりしてましたが、それも特殊なエピソードというわけでもなかったのかもしれない。
死がすぐ隣にあるだけで、市民にとってはそれもまた日常、と。
徹底して他人事のように描くことでかえって戦争の異質さが浮かび上がるしかけは、玉音放送の一瞬と戦後に太極旗を見たときのすずさんの反応とのコントラストとあわせ、心に残った。
戦時中だって常に日常はあって、その日常の中に前線は忍び込んでくるけれど、そして何ということもなく命も奪われていくけれど、それでもなお日常があって、悲しみも含めて淡々と時は過ぎていく。
流されるままに生きるすずさんを通して記述されるので余計にそう見えるが、末端の市民にとっての戦争とはこのようなものだったのだろう。
生前、戦時中はどうだったかと祖母に聞いても、まあ、大変だったよ、というくらいしか返ってこなかったが、こういう日々だったのかな、と。
井の頭公園に松脂取りに駆り出された際、「こんなことして勝てるのかしらねぇ」と言って大問題になった、とか面白おかしく語ったりしてましたが、それも特殊なエピソードというわけでもなかったのかもしれない。
死がすぐ隣にあるだけで、市民にとってはそれもまた日常、と。
徹底して他人事のように描くことでかえって戦争の異質さが浮かび上がるしかけは、玉音放送の一瞬と戦後に太極旗を見たときのすずさんの反応とのコントラストとあわせ、心に残った。